| 〔1〕序〜新軽〜矢ヶ崎大橋〜りんどう文庫 | 〔2〕ささやきの小径〜旧サナトリウム | 〔3〕旧軽銀座〜観光会館〜神宮寺の桜 |
| 〔4〕近藤長屋〜つるや旅館〜ショー礼拝堂 | 〔5〕二手橋〜犀星文学碑〜白鳥文学碑 | 〔6〕水車の道〜片山別荘〜聖パウロ教会 |
| 〔7〕テニスコート〜万平ホテル〜三笠ホテル | 〔8〕碓氷峠見晴台〜万葉歌碑〜御風歌碑 | 〔9〕熊野皇大神社〜吾妻はや〜アリスの丘 |
近藤長屋
平成15年限りで、ついに取り壊されてしまいました。最後まで営業を続けていたお店も、11月までに退去しなければいけないということで、今回がまさに見納めでした。


避暑地・軽井沢名物、夏季のみの出張店は、最初はもっぱら外国人御用達用であったが、大正5年、名古屋の豪商・近藤友右衛門という人が建てたこの「近藤長屋」こそ、日本人向けのそれの嚆矢。
そもそも「軽井沢銀座」の名の起こりも、ここに銀座の老舗が軒を連ねたからだという。つまり、日本全国どこにでもある「○○銀座」とは起源が違うのだ。「銀座みたい」だからではなく、銀座がそのまま来てしまったからなのでした。
天領であった軽井沢宿は、江戸時代初頭から参勤交代で賑わった。しかし明治に入るとすっかりさびれてしまった。
その後避暑地として再生するわけだが、江戸初期に旅籠「鶴屋」として開業された「つるや」は、大正から昭和の中頃まで、一大「文学サロン」の観を呈することになる。
ここで夏を過ごし、執筆した作家は、ざっと挙げただけでも、島崎藤村、正宗白鳥、室生犀星、萩原朔太郎、芥川龍之介、堀辰雄、谷崎潤一郎、志賀直哉、山本有三、石坂洋次郎、丹羽文雄などなど。芋蔓式に集まってきたと言っていい。文人墨客だけでなく、政財界の重鎮も定宿としていた。
堀辰雄と矢野綾子の出会いの場でもある。
昭和61年の最初の軽井沢合宿で、『美しい村』に「太郎ちゃん」として出てくる、当主の佐藤太郎氏にお話を伺ったのがいい思い出となっています。現在は、正面入口に立派な庇が増築されています。
芭蕉句碑
つるや旅館の先を少し行くと、右手に見えてくるのがこの芭蕉句碑。軽井沢町の説明板によると、天保14年(1843)というから、新選組の沖田総司が生まれた一年後、当地の俳人・小林玉蓮によって、芭蕉翁百五十回忌に建てられたものだそうです。
この先は旧碓氷峠へ続く旧道。往時徒歩の旅では、旅情を誘われるなどとは言っていられない険しい峠道に差し掛かります。

| 馬をさへ ながむる雪の あした哉 芭蕉 |
「野ざらし紀行(甲子吟行)」中の一句 |
ショー師記念礼拝堂
カナダ生まれの英国聖公会宣教師アレキサンダー・クラフト・ショー。この人がいなければ、あるいは軽井沢に来なかったら、現在見るような軽井沢にはなっていなかったでしょう。ご存知、避暑地としての軽井沢の発見者。
ショー師の胸像前で解説する小川和佑先生。
その最初の訪問は明治19年。故国を思わせる自然や気候に魅せられ、「屋根のない病院」と絶賛したそうです。二年後の明治21年、軽井沢に最初の別荘を建てました。これこそ軽井沢の別荘第一号。現在は、「ショーハウス」として、記念礼拝堂の隣に復元されています。

日本聖公会教会、別名・ショー師記念礼拝堂は、もちろん軽井沢最古の教会で、現在でも使用に耐えているこの建物は、明治27年の新築だそうです。